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  • ここにいるあなたへ

    居たはずのあの人、ここにいないあの子へ手紙をかきませんか

    心残りの思いを抱いているあなた、手紙をかきませんか
    さよならさえ言えなかったあなた
    あの時何かできたはずと想うあなた
    帰ってくるはずの人が今はいないあなた
    心残りがチクチクと痛むあなた

    居たはずのあの人、ここにいないあの子へ手紙をかきませんか
    さよならのひと言もなく去ったあの人
    わたしをひとりにしたあの人
    何もしてあげられなかった思いが募るあの人
    行ってきますと言ったきりのあの子
    急いでひとり駆け抜けていったあの子
    いったいどんな思いなのかあの子

    何か言いたいことがあったはず
    伝えようとして言葉にならなかった
    涙をこらえていることを伝えたい

    そんな思いを手紙にしたためてみませんか

     

    sottomottoでは、あなたのお便りをお待ちしています
    こちらまでお送りください

    掲載にあたっては、慎重を期し、ご覧になる方や関係者そしてあなた自身が
    傷つくことがないよう、詳細を打ち合わせさせていただきます
    掲載を望まない方も、送ってくださるとありがたいです
    あなたのお気持ちは、きっと届きます

    お待ちしています

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    お姉ちゃんへ

    そちらで元気にしていますか?
    誰かの髪を切っていますか?
    いつまでも悲しんでいてごめんなさい。
    もっと生きていて欲しかったな。残念だよ。
    これから、やっと女3人で出かけられると思っていたのにな。

    治療への愚痴も、死への恐怖も、お姉ちゃんは、私にはなんにも言わなかったね。
    私だったら、きっともっともっと大げさに泣いて、
    愚痴を言って、みんなを困らせたと思うのに。
    お姉ちゃんは、最期までとにかくあっぱれでした。

    生きてるの、怖くなっちゃった。
    こんなに悲しいことがあるなんてわかってなかった。
    こんなに自分が弱いとも思ってなかった。

    時間とともに、もっと穏やかな気持ちでお姉ちゃんを
    思い出せるようになりたいです。今はまだ、恐怖と悲しみでいっぱい。

    また、そちらで会いたいな。
    一緒に笑ったギャグでまた笑い合いたい。女3人で過ごしたい。
    そのときまで、私は泣いたりわめいたり、
    みんなに話を聴いてもらったりしながら、生きていく。
    強くないんで、これからもめそめそするけど、とにかく死ぬまで生きる。

    またね。

    突然亡くなった主人へ

    大動脈解離で突然亡くなった主人。
    四十九日の法要をやっと終えました。
    寂しくって、辛くって、毎日泣いちゃいます。
    62歳。まだまだこれからだと思ってた

    主人が小麦を作り、私がパンを焼く。そんなパン屋を始めて5年。
    いるのが当たり前だと思ってた、なのに突然いなくなって、いろんな大変な事がたくさんあり、
    私は疲れました。強がって、元気なフリして、お店を開けてますが、辛いです。
    時間が解決するのだとわかってるけど、不安だらけで、毎日涙が出ます。
    子供達にも心配はかけられないと強がり、親も早くに亡くなって、きょうだいもいない私。
    主人が農家で沢山田んぼをしてたので、農機具などの借金、農地のトラブル。
    疲れました。早く解決して、心穏やかになりたいです。
    日にちが解決するのだと信じて過ごします。

    パン屋があることをありがたく思って、
    主人の残してくれた3人の子供達と過ごして行きます。
    できるもならもう一度でいいから会いたい。
    口下手でありがとうとかごめんとか言わない人だったけど、きっと私のこと心配ですたまらなかったんだろうね。
    あなたと一緒に過ごせて私は幸せでした。
    でももう少し一緒にいたかった…

    私、乗り切れるかなぁ?
    大丈夫だよね。見守ってくださいね。


    へなちょこパン屋のかあさん より

    愛する息子へ

    26歳という若さであなたは自ら逝ってしまった。
    助けを…SOSを出してくれていたのに、母親であるにも関わらず、
    私はあなたを助けなかった。
    甘やかすことが今後のあなたをダメにするという
    まわりの意見を信じて…
    いや、実際のところ私も疲れていてそう自ら望んだのかもしれない。
    親の助け無しでも生きていける強い人間になってほしいという思い。
    それを信じその望みにすがって、あなたの帰りを待っていた。

    けれど、あなたは逝ってしまった。まさかと思った。
    本当にそんなことしてしまうなんて思わなかった。

    愚かな母です。謝っても謝っても謝りきれない。
    後悔と罪の意識、そして大切なあなたを失った喪失感で心が保てません。

    あなたを見つけてあげることができてから3ヶ月。
    毎日…いや毎秒毎瞬あなたのことばかりが頭と心を占めているよ。
    あなたの妹のためだけに何とか今日1日のことだけと
    言い聞かせて生きている。それを繰り返して日々が過ぎています。

    あなたが絶望したように、
    私も今、この世になんの希望も光も見えないのです。
    出来ることならばこんな生地獄のような世界から私も消えたい。

    それが本音だけど、 それをしてしまうと娘が今の私以上の生地獄に落ちてしまう。

    だからあなたの元へも逝けない、本当に生地獄です。

    けれどこの生地獄が私に与えられた、
    あなたを救わなかった罰だとも思ってもいます。
    今この文章を夜中に書いています。
    あれからまともに眠ることもできなくなりました。
    あなたを発見した夕方5時半から、警察の遺体安置所で会えた
    夜中1時頃までの時間帯は、本当に心が壊れそうです。
    そして、その時間帯を過ぎてもお父さんと娘が眠ってしまった今の
    この時間帯もつらくて仕方ありません。
    自分の行動に自信がもてなくなりそうにもなります。
    無理なことは分かっています。

    でも戻ってきてほしい。
    何かの間違いであって欲しい。
    あなたを助けられる時点まで戻りたい。


    もう二度と取り返しのつかない所まで来てしまっていることを
    再認識すると恐怖でどうにかなりそうです。
    あなたが亡くなって思い知らされました。
    あなた達の母親にさせて貰った日から、
    私の1番の幸せは自分の子供達が元気で幸せであってくれること。
    ただ唯一それだけだったよ。
    私は本当に愚かだ。もう取り返しがつかないのに。

    本当に本当に大切な私の愛する息子。
    会いたい… ごめんね本当にごめんね。

    母より

    お誕生日おめでとう

    さっちゃん、4歳のお誕生日おめでとう(^^)

    そちらの世界でも幼稚園があるって
    誰かから聞いた気がするけど、
    幼稚園は楽しいですか?
    たまにママたちに幼稚園のこと教えてね(^^)

    こっちではそろそろさっちゃんが現場監督みたいなことしてた
    玉ねぎの収穫シーズンです。
    今年も見てくれてるかな?
    パパは昨年よりもいいものを作ろうって頑張ってるよ!
    我が家でも食べれるようになったら、
    おいしい料理を作るね(^^)

    そういえば最近、どうにもさっちゃんに会いたくて
    たまらなくなる日が多くなりました。

    たぶん命日が近いからかな…?
    誕生日が近いからかな…?
    思い出しては泣くことばかり繰り返しています。

    ママってこんなに泣き虫だったの?ってさっちゃんは思うかな…
    なるべく笑顔になれるように頑張りたいけど、
    この時期だけはやっぱり無理かもしれないや…
    ごめんね…泣き虫なママを許してね…

    時々、さっちゃんにママをつれてってなんて思うこともあるけど、
    たぶんそれはダメ!って止めちゃうね。
    もう少しだけこっちで時々パパと喧嘩することもあるけど、
    さっちゃんのためにもがんばるね…!


    ママより

    『さっちゃんへ』

    もうすぐ、あなたがひいじいとお星さまになって一年がたちますね。
    そちらの世界はどんな感じですか?
    お花がいっぱいで暖かいと聞いているけど、どんな世界なんだろう…

    昨年のあなたの誕生日の前の日、
    いつものように遊んでたはずのあなたが
    夜遅くにはこの世にいないなんて、みんな想像もしていなくて…

    ひいじいと手を繋いでいてさみしくないよね、って頭でわかっていても、
    やっぱり現実は受け止められなくて、
    悲しくてたまらなくて…

    もっとああしたらよかった、こうしてればよかったってばかりを考えて
    泣いてばかりいて、いつも笑顔いっぱいのさっちゃんを
    困らせちゃうことばかりしてるかな…

    いつかまたママたちのとこにきてくれるかな…
    できたらきてほしいな…
    夢にでもでてきてくれないかな…
    きれいな一番星ででてきてくれないかな…

    また早く会いたいな。
    ママはさっちゃんに胸を張って立派なママだよって報告できるまで、
    もう少しだけがんばろうかな。

    好きなお菓子とかお花とかいつも飾っておくから、
    いつでも好きなときに食べたり遊んだりしてね。

    ママより

    『さくら 待ってるよ』

    赤ちゃんは産まれる前にお空の上で母親と父親になる人を自分で選んで産まれてくるんだって。
    もし、私に赤ちゃんを選ぶ権利があるのなら、空中を駆け回ってあなたを見つけて連れて帰りたい。

    産声を聞く事は出来なかったけど、39週と3日一緒に過ごせて、私も、パパも、お兄ちゃんも幸せだったょ。

    私のお腹の中で心臓が止まっている事が分かった時、私も一緒に消えてしまいたかったけど、、、
    またさくらに選んで貰えるのよう頑張るから、お空から見ていてね。

    あなたに会いたい。
    大好きだょ。

    さくらのママ

    『お父さん』

    お父さんが亡くなって、今日で30日。
    未だ受け入れたくない気持ちで、涙が溢れて来ます。
    癌だとわかり治療するも効果はなく、余命宣告され本人も辛かったと思う。
    まさかこんなに早く亡くなるとは思ってなかったし、
    もっと一緒に過ごしたかった。

    再入院する前の日『頑張ってくるわなぁ』と言ったのが最期。早過ぎるよ。
    誕生日もお祝いしたかったし、心残りが沢山あるよ。

    もっと側に居てあげれば良かったのかな…とか色々考えてしまう。

    持病あり通院してたのに、何で癌がもっと早く発見されなかったんだろ?
    悔やんでも悔やみきれない。
    もし早く発見できていれば、今も元気に生きてたんだろなと思う。

    いっその事、楽になりたいから連れて行って欲しいとか思うけど…
    それは叶わないね。

    親孝行できなかったけど、
    ゆっくり休んで家族を見守ってくれると嬉しいです。


    チョコ

    『会いたいです』

    お母さん、今も近くで見守ってくれていますか?
    お母さんに会いたい、会いたいです
    きっとお母さんも同じ気持ちだよね

    何でこんなに生きづらいのかな
    なんで自分はこんなんなのかな
    何も考えたくないし
    もっと楽に生きたいし何なら
    お母さんの所に行った方が楽になれる
    なーんにも考えなくていいしストレスゼロ
    何てったってお母さんにも会える
    そんな風に考えることも多いです

    でも、絶対お母さん喜ばないし、
    家族や周りの人にも
    迷惑かけてしまうからやめとくね

    楽になりたい、よし、頑張ろう、を
    繰り返しながら生きていくと思います
    どんな私でも否定しないで見守っててね

    お母さんとお別れして20年
    25歳になってひとり暮らしも始めました
    いつも写真越しから見ててくれてありがと
    こんな情けない、弱虫な娘でごめんね

    お母さんに会いたい気持ちをぐっと堪えて
    もう少し頑張ってみるね、大好きだよ
    産んでくれてありがとう。お母さんの分まで頑張って生きていきます。

    カスミソウ

    『ばあちゃん』

    ばあちゃん、ごめんなさい。
    昨日会いに行ってあげればよかったね。
    救急車呼んだらよかった。


    そしたらもうちょっと一緒におれたよね。
    ずっとずっと長い間入退院を繰り返していて、
    どんどん弱ってくのが見てられんくて、
    会いに行く時に会話のキャッチボールが上手いこといかんくなってったのに
    戸惑って嫌になって、いつも無碍にしてごめんなさい。


    ほんまはばあちゃんのこと大好きなんよ。


    私が一人暮らししとった時も会いに行くたびに内緒でお金を渡してくれて、
    これで美味しいもんでも食べって言ってくれてたの嬉しかったんや。
    大変な時にちょびっと使ったけど、もう残りは使わんとくわ。

    社会人になってからもいつも気にかけてくれてありがとう。

    もっと恩返しすればよかった。
    なんも恩返ししてへん不孝者でごめん。

    明日も明後日もずっとおるって思ってた。
    おらんくなるのが早すぎるわ。

    じいもみんなもこんな早くにおらんくなるって思わんかったって言ってた。
    ともひろくんはまだ来とらんけど、ばあちゃんにみんなが会いに来てんで。
    之子ばあちゃんが声聞きたがってたのにばあちゃんに直接言えんかったな。


    あの世があるんかは分からんけど、
    あの世でどこも痛いとこなく元気にやってね。

    私のお気に入りのリップ付けたげたから、あの世で知り合いに自慢しといてや。
    孫がええ口紅付けてくれたわって。
    じいが別嬪になってって言っとったで。
    ばあちゃんが体壊さんと元気にやりやって言っとったから、
    瑞季はぼちぼち頑張りながら、元気に暮らすわ。

    ほな、元気でね。

    瑞季

    『大切な君へ』

    ある時から話をし始めた。ごはん食べたり、悩みを相談し合ったり。
    友だちになり、仲良しだねといつも笑顔で、お互い励ましあっていたね。

    毎日続けていた他愛もないLINE。さっきまでLINEしていた。半日以上既読にならない日は、これまでなかった。君に非常なことが起きたと、分かった。苦しくなってきた。いや、ありえないと、起きたらいけないことは打ち消したり。でも、何か起きていると。

    翌日になっても、LINEは既読にならなかった。空気が朝から落ち込んでいた。LINEにおはようと。既読になってほしいけど、、、、ならない。
    その日、亡くなったんだってーと、知り合いから一般ニュース的に伝えられた。ありえたらいけない情報。それが耳に入り、こころが乱れた。非常すぎる。涙が流れ続けて、私を床に膝つかせた。眼が痛い。瞼の皮が薄くなるくらい腫れた。生きていて一番辛い涙が流れてくる。動いても涙。仕事をしても涙。人と会話をしても涙。車運転中も涙。

    不慮の事故ではなく、持病での死。
    わたしは君に一番こころを寄せていました。大切に想い、丁寧に関わりを持っていました。お互いに、相手を責めたり全く無かったよね。会う時間は温かい時間だけだった。大切に想い、大切なときを過ごした。それでも、後悔が募ってくる。
    大切に想っても、死は突然やってくる。『けんかしたことなかったのに、これからしたかったのに。いや、これから先もしない2人だよね。、、、もう、君は居ないから、わたしはこうやってひとりで語り、自分を納得させて、気持ちを落ち着かせていくのだろうね。そうだね。それがいいね。』と、毎日ひとり語る。

    亡くなるということは、身体がだめになっただけ。魂はどこにいく?と、真剣に考える日々。魂が安楽に居れますように、と願い、そしてわたし自身が前向きに進めるように生活している。

    魂は、何?
    いつでも、逢いにこれる存在。『一緒に宇宙に連れていってくれるなら』と空(くう)に両腕を差し伸ばす。わたし自ら、ここ(現在)から居なくなることはしないけど、宇宙に引っ張ってくれるなら、わたしは抵抗しないで、笑顔で、喜んで引っ張っていかれる。君の温かいやわらかな手で引っ張ってほしい。

    既読にならないLINEを毎日見つめて、一か月経つけど、時が進むのが遅い。長く時間が進んでるような感覚もある。それに伴い、君の声や表情がぼやけてきている。近くにいないと忘れていくのか、辛い気持ちを薄めるための、わたし自身の防御策なのかな、、、。

    魂はある?
    君を思うわたしの気持ちが、君の魂。
    君がふわふわみえる。君が手を繋いでくれてる。
    わたしと君の過ごしたときを思い出して、毎日感謝して、ありがとう、ありがとう。

    優しくてありがとう。
    病院の予約をとってくれてありがとう。
    お菓子作ってくれてありがとう。
    わからないこと教えてくれてありがとう。
    大丈夫だよと声をかけてくれてありがとう。
    一緒に悩んでくれてありがとう。
    星を一緒に眺めたり、風に吹かれたり、同じ時間を過ごしてくれてありがとう。

    これからもありがとうが増えていくよ。

    gl

    『パパへ』

    癌と宣告され余命2年
    治療すら拒み食事も取らなくなったパパ
    泣いて延命頼んだけど助かる余地があったのに拒んでたね
    死に目にも会え
    ヘルパーさんからの地獄のような電話が
    パパの最期を知らせた

    あの時頭は真っ白で膝まづいて泣きわめいた。
    嘘だ嘘だと思いながら車で急いで駆けつけた。
    ドアを開ければ話すことも出来ない、冷たくなった体がそこに。

    あの時どれだけ心が壊れてしまったのか自分ですごく覚えてる。

    子供がいるし一人っ子だしで
    1人で葬儀も何もかもやらなきゃならなくて悲しむ時間もない。
    そんな日々だった
    火葬場で焼かれゆくその姿はどれだけ目に焼き付いただろう。

    目を閉じてたくさん楽しい思い出を思い出すべきなのに、
    火葬場の最後ばかりが頭を巡って苦しい。

    張り裂けんばかりのこの胸の痛みと戦うのはすごく難しいよ。
    気が変になりそうで
    自分を保つのがやっとで。
    目眩がする思い出すほどに。
    悲しくなるから目を閉じると思い出すから
    目を閉じるのが怖い。
    一日の始まりを迎えて
    亡くなったことに気付かされて……まだ信じられないよ

    まだ助かるって言われたとき
    本当に延命して欲しかった
    こちら側のエゴかもしれない
    ただ生きていて欲しかった
    何も出来なかった自分に
    唇を噛み締めるしかできません。

    ものすごく会いたいのにもう
    小さなツボの中。

    どうしたらいいの
    いつか行く場所は同じなのに
    遠すぎて辛すぎるよ。
    受け止め方が分からないよ
    仕事にも集中できない。

    どうか夢に出てきて
    しっかりお別れを言わせて
    そして自分なら
    大丈夫と優しく笑ってください。

    胸の痛みと共に綴るパパへの手紙です。
    ずっとずっと愛してるよ

    ソウ

    『自分へ』

    私、旧姓黒澤愛里、
    小さな頃から天真爛漫で常に傍には必ず動物が居て
    夜空の星々が大好きで 実家の庭で焚き火をしながら焼き芋を焼いたり
    顔が泥で真っ黒になりながら近所の仲間と毎日遊んでいた。

    時が過ぎ県立高校を卒業して動物病院に就職をし、
    その後働き先の先生から介護の仕事を進められた。
    動物病院を去り 3年間トラックの仕事をし3百万円を貯め
    福祉の専門学校に入学をした。
    2年間の勉強をし介護士の国家資格を取得した。
    その後老人一般病院に勤務をした。

    途中御付き合いをしていた人と結婚をし身ごもり男の子を4000グラムで出産した。
    その2ヶ月後身体が急変し約15年間寝たきりになり
    呼吸も自発では難しく食事も困難となってしまった!
    お産の日だちが物凄く悪く強く悪化をし寝たきりになる。
    呼吸が出来ない事が1番苦しかった!

    15年を経て少しずつ少しずつ回復をし始める。
    少しずつ起きられる様になり、更に少しずつ少しずつ回復をし
    軽い遂にアルバイトを月に2回、3回と出来るようにまで回復をした。

    しかし、ある日アルバイト先からの帰宅途中高齢者ドライバーの
    前方不注意による貰い事故に合ってしまう!
    ドクターヘリに乗り搬送されICUで治療を受け手術をし命を取り止めた!
    首の骨を折り、あばら骨を折り、肝臓損傷、頭部強打、
    右側眼球強打により瞳孔拡大、肺挫傷を受傷をした。
    首下からは全く動かない。

    首下から全く動かない事は本当に恐ろし過ぎた、
    体験してはいけない世界だと強く強く思った。

    護師から虐待を受けても抵抗は出来ない。
    私は心をに決めた。治すと。歩くと。決めた。全てが悔しかったから。

    私は寝ずに自分の体の1つ1つに話しかけた、
    先ずは細胞意識を高めるイメージをし、ベット上で意識の瞑想をした。
    頭から足の爪先までの細胞1つ1つに話しかけた。
    動いてと‼️。
    そして断裂をしてしまった神経に1本1本に繋がれたと毎日毎日話しをかけた。

    遂に体から反応が帰ってきた。微々たる反応だったけど確かに帰ってきた。
    毎日毎日反応が帰ってきた。とうとう医者も驚く程回復をした。
    自発呼吸をし自力で食し自力で排便をし声が出 会話が出来 咳払いが出来
    ベットから降り、立ち上がり、歩み歩き出した。

    生きるとは壮絶だ。死と再生。

    今は首下からの麻痺はあるものの自力で生活をしている。
    外出も出来、旅も出来、仲間とも会い共に時間を過ごせている。
    来月の6月8日で事故から丁度4年が経つ。
    フラッシュバックはあるものの普通の生活は出来ている。
    介護など全く受けずに自力で生きている。もうすぐで50歳。
    息子も自立をし仕事も頑張っている。

    これからは、自分の幸せを噛み締めながら
    体を噛み締めながら生きると決めた。
    行きたい場所へ行き会いたい人に会い、
    やりたい事をすると決めた!🍀😌🍀。
    地獄から回復を成し遂げた自分を私は誇りに思う‼️

    本当に頑張ったね、ありがとうと。

    心を込めて🍀😌🍀自分に伝えて生きたいありがとうと。

    あいり

    『愛する由樹秀へ』

    大好きな由樹秀が亡くなって100日たったね、
    澄み切った青空の中無事にお墓に埋葬できて一区切りをつけなきゃいけないね

    生きてたら、この春には入籍して一緒に暮らすはずだったのにね

    忘れもしない2022年2月6日

    私の夜勤中にLINEで水が滲むような物が見えるって言ってたね
    その後、ホワホワした丸いものが見えるって言ってたね
    寝たら治ると思う
    夜中の2:30すぎまで確かに由樹秀は生きていました

    でも、その一言が最期の由樹秀の言葉になったね

    仕事終わりの朝の9時すぎ、LINEしても由樹秀からの返事はなかったね
    いつもなら直ぐに由樹秀の元に向かうのに、何故かその日はやたら眠くて、
    一眠りしてから向かおうって思って私は一旦家に帰って寝てしまった
    本当に今でも後悔しています

    15時過ぎ、LINEも電話も繋がらず、
    嫌な予感がして由樹秀の家に向かったけど

    おうちに入ると、
    もう由樹秀の息がないのは一目見てわかる姿になっていたね

    看護師

    こんな仕事してなかったらまともに由樹秀の姿を直視出来なかった
    もう死後硬直が解けてたのも分かるほどだったもんね

    汚れてしまった顔を綺麗にしたら、
    すやすや寝てる顔のいつもの由樹秀の気持ち良さそうな寝顔がでてきたね

    苦痛に顔をゆがめることも、もがいた形跡もなく
    本当に寝たまま起きられなかったんだね
    私が病院に連れてってって救急隊にいえば病院で死亡確認もできたよね
    救急隊に社会死って判断されて警察たくさんきて、
    最期は由樹秀の嫌いだった警察署に連れていかれちゃったね
    若い頃かなりのヤンチャだった由樹秀は警察嫌いだったもんね
    本当にごめんね、寂しかったよね

    でも死因が脳幹出血ってすぐわかったから1日で帰ってこれたね

    でもね、未だに由樹秀が透析に通ってた病院や、腎不全の話、
    糖尿病の話、人工透析の話、孤独死という言葉

    今でも心が壊れそうで、怖くて涙が止まらないです

    後悔や自責の念は今も消えません
    本当に1人で逝かせてごめんね
    最期の瞬間まで、そばにいるよって約束してたのに本当にごめんね

    ずっと大好きだよ、由樹秀と過ごした5年3ヶ月私は幸せでした

    由樹秀が悲しむので、由樹秀を追っては逝かないです
    だからお願い、ずっと私を見守っててください

    ゆっこ

    『じじへ』

    亡くなってから4日。亡くなった当日、会いに行く予定でした。
    その予定の時間の1時間前に誰にも気づかれずに眠ったように
    静かに息を引き取ったよね。
    6年間癌の闘病生活お疲れさまでした。

    私の卒業式に大腸癌で手術って言われた時はショックで何かの嘘だと思ってた。
    まさか再発するなんて夢だと思ってた。
    もう少し一緒にいれると思ってた。

    24年間優しい笑顔で温かく見守ってくれて
    楽しい思い出ばかりくれて本当に有り難う
    じじの孫になれて良かった。

    まだ心の整理がつきません。
    泣き虫だからいないってわかってるのに受け入れたくなくて
    1人になるとずっと思い出して泣いている
    そんな私を許してください。

    最期に会った日の帰り際、また次の日来てって言われて行けば良かった。
    今更だけどまた会いたい。
    なんでこんなに良い人なのに神様は病気にさせて
    連れて行っちゃったのかなぁ。
    ばばを残して先に1人で逝っちゃってさ。

    これから寂しい。どう生きていけばいい?
    まだまだ受け止められないよ

    でも6年も頑張ってくれてありがとう。
    お疲れ様。
    ゆっくり休んでずっとそばで見守っててください。

    じじ大好きだよ。

    匿名

    『みきちゃんへ』

    みきちゃん、お空の世界はどうですか?
    お友達とは出会いましたか?
    きっとニコニコ笑ってくれているでしょう。
    みきちゃんが産まれて2週間ほど経ちます。
    お腹の中で助けてあげられなくてごめんね。
    酸素や栄養がいかなくてしんどい思いをしていたやろうに、気づいてあげれず、お母ちゃんは後悔しています。
    願うならば、もう一度、お腹の中に帰ってきてほしいです。あの幸せな時間を過ごしたいです。
    そして、愛情いっぱい注いでくれるお父ちゃんと、とっても愛くるしくて面白いお兄ちゃんに
    元気な姿で会ってほしいです。
    手がかかるけど可愛いニャンコも2匹いてます。
    うちは賑やかでおもしろいですよ。お空の世界より楽しいこと間違いなし!
    みんな待ってます。
    大好きです。幸せな時間をくれてありがとう。一緒に過ごした時間を忘れません。
    でも、1番言いたいのが、
    助けてあげれなくてごめんなさい。
    もう一度逢いたいです。

    白牛キイチの母より

    『お兄ちゃんへ』

    天国で楽しく過ごしているかな?

    両親の事は心配しないでね。

    私は頑張って生きていくから天国から見守っていてね。
     

    まぁーちゃんより

    『タエにゃん』

    妙子さん ありがとう。
    苦しいのに、一年も頑張って生きて介護させてくれて。
    僕が後悔しないように きっとわざと甘えてくれて。
    たくさん節約して貯金も残してくれて。
    子供も残してくれて。

    たった30年の結婚生活だったね。
    もうすぐ、定年になったら住宅ローンも終わり、
    やっと二人で温泉とか行こうと思っていたのに。
    59歳で亡くなるなんて。

    美味しいお寿司もカニも牛肉も食べさせてあげれられなくて

    本当にごめんね

    苦労して苦労して頑張って頑張って
    お父さんのいない 母子家庭だったあなたは

    何も過去を語らず結婚してくれて
    赤ちゃんを育ててくれて、僕に笑顔ばかりくれて

    ありがとう ありがとう 

    晩年は 愛してるとか名前も呼ばなくてごめんね。
    癌に気が付かなくてごめんね。
    治癒の時、厳しく接してごめんね。
    介護食がまずくてごめんね。

    自宅での半年の介助楽しかった。
    icuにいるとき 絶対助けると言ったのに
    助けられなくてごめんね。
    まさか、亡くなるなんて、びっくりさせてごめんね。

    これから、死ぬまで思い出して泣くから許してね。
    僕が死ぬときはタエにゃんの位牌を抱いて、
    出会った頃の笑顔を思い出して死ぬから許してね。

    自宅介護に戻れた半年、本当に幸せだった。
    タエにゃんのために生きた時間、幸せだったよ。

    本当にありがとう。

    なおにゃんより

    『父ちゃん』

    父ちゃん
    何故こんなにも早く逝ってしまったのですか

    孫の顔見るまでは死なないって
    言ってたじゃん

    まだ叶ってないよね?

    私はあの日から
    何をしてても気持ちが晴れることはありません

    苦しくて苦しくて
    もがいて、焦って

    早く楽になりたくて
    苦しむのはいやだから
    後を追う事さえ考えました

    バカヤローって
    父ちゃんは怒るね

    私は
    私であって
    私では無いのです
    それは
    父ちゃんの居ない
    現実があまりにも苦しくて
    何も見えません
    何も見ようとしないんです
    何を見ても黒い世界が
    そこには広がって居るんです

    私は
    可哀想ですか?
    気の毒な人ですか?
    誰かに必要とされていますか?
    誰かに分かって貰えますか?

    どんなに手を伸ばしても
    誰かに助け手が言えません
    一人で抱えて
    壊れそうな心になってます

    父ちゃん
    そっちに連れてって下さい
    私現実から逃げたいです
    苦しさから逃れたいです

    子供達
    どー育てれば良いですか?
    親としても強くなれません

    助けて
    誰か
    助けてください

    父ちゃん
    こんな私を
    叱ってください

    母ちゃん

    『大好きなお母さんへ』

    お母さんがいなくなって8日です。
    毎日、寂しいです。
    ふとした瞬間、夜になると涙が溢れます。

    ちゃんと介護できなくてごめんね?
    私が早く見つけてたら、対応が早かったら今も一緒にいれたのかな?
    ごめんね? お母さん。

    お母さんは身体がしんどくて、毎日のように死にたいって言ってたよね。
    でもね、お母さんのいない生活は寂しくて仕方ないです。

    お母さんが元気な頃、沢山LIVE行ったよね。
    お父さんが夜いない日は呑みにも行ったよね。
    よくご飯も食べに行ったね。
    周りからは、若いね!! 仲いいね!!って言われて自慢のお母さんでした。
    また、どこか一緒に行きたかったな。

    お葬式の時、和も泣いてたの知ってる?
    お父さんも泣いてたんだよ。
    口が悪いし、お母さんにはきついから、お母さんが死んでも、お父さんは泣いてくれないなんて言ってたけど泣いてたよ。 見てた?
    みんな、お母さんの事が大好きだったんだよ。

    私は、お父さんとは仲良くないけど、これからは仲良しでやってくから、見守っててね?
    お父さんもなるべく長生きするように見守っててね?

    あと、和の誕生日の日。お母さんいたよね? 一緒にお祝いしてくれてありがとう。

    あとね、いつも心配ばかりかけて、ごめんなさい。
    お母さん、大好きだよ。今でも、ずっと大好きだよ。
    闘病もお疲れ様。お母さんも頑張ったね。ゆっくり休んでね。
    夢でもいいから、たまには会いたいな。呑みに行きたいよ。

    和ママより

    『お父さんへ』

    お父さん。亡くなってから10年が過ぎました。自死を選んだ事を後悔していますか?楽になり穏やかにあの世で過ごせていますか?
    最後に会った日、お父さんは覚悟を決めていたんだろうね。そんな中、私からの妊娠報告。満面な笑みでお父さん!おじいちゃんになるんだよ!
    と伝えたね。ビックリしたよね。喜んでくれたね。生きる糧にはならなかったね。あぁこれで○○(私)も安心だって別れ際に言っていたね。私を支えてくれる夫、お腹に赤ちゃんいるから大丈夫って思えちゃったんだね。 何で気付いてあげられなかったんだろうって悔やむ気持ちは今もあるよ。
    ごめんね‥お父さん
    お父さんの初孫は10歳になるよ。4歳になった男の子も産まれ2人共スクスク育っているよ。
    私は私の人生を歩んでいます。
    だけどね、定期的に苦しくなるよ。会いたいよ。大好きなお父さんに。今の私を見て欲しいよ。話したいよ。頑張ってるなって頭撫でて欲しいよ。
    1度も夢に出てきてくれないね。夢の中でいいから会いに出てきて欲しいよ。
    お父さん会いたいです。

    春の花より

    『母ちゃん久しぶり』

    母ちゃん久しぶり。

    早いもんで母ちゃんが眠ってしまった日から、
    もう7ヶ月以上が過ぎたよ。

    今さ、新型コロナウイルスっていうのが、世界中でも日本でも
    凄い流行ってしまってて大変なんだ。
    日本も緊急事態宣言出ちゃったりしてて、
    祭りや花火どころじゃなくなってて大変なんだよ。
    いつも母ちゃんが手伝いに行ってた船橋の海老川の花見のお店も、
    今年はやらなかったみたいだ。
    イベントは尽くダメみたいだよ。

    オリンピックも中止だか延期だかが決まっちゃうくらい酷くてさ、
    多分、今年の夏は花火とか祭りも全部ダメになるんだろうな。
    残念だよね。

    母ちゃんの初盆もさ、コロナを考えて延期か中止になって
    しまったんだよ。残念すぎるよ。
    初盆なのに…しっかり供養してやりたかったのにね。

    仕事も、コロナの自粛で激減してしまっててさ、
    それが終わると今年の梅雨は雨だらけで中止連発になってしまってさ、
    そして数日前までは盆休みで仕事無し…正直かなり厳しいんだけど、
    何とか頑張って行かなきゃな。


    そうそう、2月29日に決まってた母ちゃんの四十九日と納骨式、
    少しゴタつきはあったけど、何とか無事に終わったよ。
    母ちゃん、実家のお墓に入る事が出来たんだよ。
    これで安心して眠れるね。

    知り合い身内たくさん来てくれたんだよ。
    もちろんよっさんもな。
    母ちゃんの妹弟も、いとこ達も全員来てくれたし、婆ちゃんの
    兄弟も来てたし、母ちゃんの旧友達も何人も来たし、
    30人くらいは来てくれたんだ。

    ありがたいよな…母ちゃんを思ってくれる人達が
    こんなにたくさんいるなんてさ。
    ただ、婆ちゃんさ、母ちゃんが戻ってきたと同時に泣き崩れてた。
    滞在した3日間もずっと目の周りが赤く晴れてた。
    もうかなりの高齢だし、気を病みすぎて体調崩さなければ
    良いのだけれどな。
    今のところは大丈夫みたいだ。

    みんなにも母ちゃんにも感謝しかない。
    でも同時に、申し訳なさと悔しさも沸き立ってくるんだ。
    こんなみんなに愛されてた母ちゃんを、こんな形の最期を
    遂げさせてしまった自分の愚かさ情けなさ。

    俺が、もっとしっかり母ちゃんの病状を気にして
    サポート出来ていたら、まだまだ生きてられたはずなのに、
    こんなに猛烈な速さで病状が悪くなる事は無かったはずなのに、
    ほんと俺は何してたんだという思いが湧き立ちすぎて、
    気が狂いそうになる時もあった。

    今、お金の掛からない趣味(ウォーキングしながら花とか風景とか
    撮影して、SNSに投稿)を始めたのと、昔やってたTwitterを
    再開してさ、少し気分が楽になってきたんだけど、
    それでもやっぱりふとしたタイミングでスイッチが入っちゃって、
    涙が止まらなくなる時もある。


    何で助けてあげられなかったのか…。

    俺は20歳くらいの時同じような病状で死にぱくった時に、
    母ちゃんに助けられたのに何で俺は助けてあげられなかったのか、って。

    正直まだまだ辛い。
    今もまだ、最後に救急車に運ばれていく時の母ちゃんの顔、
    病院で亡くなって安置されてた母ちゃんの顔、
    火葬場へ運ばれる直前、花を母ちゃんの周りに置いた時の顔、
    火葬場で焼かれる直前の顔、
    焼かれて骨だけになって火葬炉から出てきた時。
    身体は形が残っていたが、顔は割れてたな。
    何ヶ月経っても全部鮮明に脳裏に浮かぶんだ。
    その度に涙溢れて、酷い後悔と自責の念が押し寄せてくる。
    本当にキツい。


    ずっと続くんじゃないかって思えるくらい辛い。
    でも、自生を断つような事はしない。
    もがいて、あがいて、母ちゃんの年齢を超えるまでは死ねないし、
    母ちゃんの可愛がってた猫達も居るしな。
    猫達も母ちゃんが居なくなってから毎日寂しそうにしているよ。
    たまには来てさ、撫でて行ってあげてくれな。
    絶対に幸せに長生きさせてあげるから、安心して見守っててくれな。


    ただ本当に思うのは、幽霊でも良いから出て来て欲しい。そして謝りたい。
    母ちゃんごめんなさいって…。


    会いたい、本当にごめんなさい。


    一緒に頑張ろうって言えず、ごめんなさい。


    気分転換にカラオケとかにもほとんど連れていけなくてごめんなさい。


    こうはならないぞ、反面教師だ、
    何て酷い事を言ってしまってごめんなさい。


    ニトリのソファーと押し車を買ってあげられなくてごめんなさい。

    歌手になって左うちわさせてやれなくてごめんなさい。

    こんな親不孝行な俺で、ごめんなさい…。


    追伸…アバちゃん亡くなったって、婆ちゃんから聞いたよ。
    コロナだから葬式も満足にやれなかったそうだよ。辛いよね。
    あちらの世界でさ、よろしくしといてよ。


    あんちゃんより

    『お父さんへ』

    お父さん、元気ですか。
    たぶん、今はおうちで元気に笑っていますね。

    孤独死しているお父さんを見つけてから、四十九日。
    お父さんの推定死亡日からだいたい百日になるね。

    大好きなお父さん、見つけるのが遅くなってごめんね。ゆるしてね。

    最後に会った日、楽しかったね。
    まさか、死んじゃうなんて!
    私すごくびっくりしたよ。
    明日はみんながお父さんに会いに来るよ。
    待っててね。

    娘さんより

    『母ちゃんへ』

    突然に居なくなって1ヶ月以上過ぎたな。
    だけどまだ心が整理が出来ない。
    毎日毎日想い、後悔し、涙流してる。


    逢いたい。逢って謝りたい。
    幽霊でもいいから逢いたいな。


    まだ63歳だった。早いよな。
    助けるチャンスは確かにあったのに...。
    あと数日で誕生日だったのに。


    めちゃくちゃ辛い、悲しい、悔しい。
    情けない。


    俺もよく似た病気で死にかけた事もあるのに、
    その時とほとんど同じ症状出てたのに、
    何で気付かなかったのか。
    何でその時に限ってゲームに夢中になっていたのか。
    何で1回目の救急車で病院行った時の診断を信じてしまったのか。
    何で2回目の救急車を呼ぶのを3日も様子見してしまったのか。
    何で俺の時も1回目誤診があったのにそれを思い返さなかったのか。

    何で疑問に思ったり不審に思ったりした事は
    徹底的に調べる癖をつけてたのに、
    その時だけそうしなかったのか。

    妹と母ちゃんと俺の3人で住んでいながら、
    ほとんど妹に食事管理とか外出する時の付き添いを任せっきりで、
    何で俺はほとんど何もしなかったのか。
    言わなかったのか。長男なのに。
    自分の物ばかり買って、ゲームに課金なんかし続けて、
    医者を訴えようという肝心な時に金が全く無いという、
    救いようのないアホだな俺。
    こんな色んな後悔がぐるぐる渦巻いてるよ。

    本当に苦しい。

    1回目の救急車の時に戻りたい。戻って対応をやり直したい。
    でもどんなに後悔しても、もう取り返しがつかないんだな。
    思えば子供の頃からたくさん迷惑かけてたよな。
    喧嘩したり、虐められたり、虐めたり、
    火遊びした挙句火事にしそうになったり...。
    高校中退した上、その後何年も脛齧りニートをしてたり・・・。
    20歳で死にぱくったり。


    母ちゃんごめんな。こんな出来損ないで...。

    母ちゃんの作った唐揚げ、最高だったよ。
    大好きだった。
    チャーハンも、卵閉じ丼も、親子丼も、
    野菜炒めも、やきそばも、うどんも、ラーメンも、オムライスも、
    フライドポテトも本当においしかった。

    晩年母ちゃんの目や手が利かなくなって、
    見た目、上手に作れなくなっても、それでも美味しかったよ。

    また食べたいな。
    他の店とかで同じものを食べても、味気なく感じる。
    本当に、また食べたい。

    それに、今度は俺が、
    母ちゃんも好きだった唐揚げやチャーハンを
    作って腹一杯食べさせてあげたい。
    そういうのが美味しいプロの店に連れてって、
    たくさん食べさせてあげたい。

    だからどうか・・・。

    仕事仲間であり、歌好き、高校野球好き、
    相撲好き、カラオケ番組好き共通の友達でもありました。
    間違いなく1番身近な人でした。


    許して下さい。

    逢いたいです。

    許して下さい。


    こんな最期にしてしまって、本当にごめんなさい...。

    ごめんなさい...。

    あんちゃんより

    『なぜ…』

    なぜ、突然居なくなったの?

    本当は苦しんでいたんだ。
    気付いて声かけてあげられなくて、ごめん。


    まだ、実感がわかないよ。

    新年会しようって、約束したじゃん。


    もうすぐ、月命日。

    何だか理解できないよ。



    匿名

    『なぜ』

    一人息子のあなたが 誰にも何も言わず何も書き残さず
    突然逝ってしまって6年が経ちます。

    でも会話をしたのが 昨日のことのように感じます。

    あの日で 私の中では時間が止まったままです。
    毎日自分を責めてます。

    なんで 悩んでたことに気づいてあげられなかったのか、
    そしてあなたを救ってあげられなかったこと。


    本当に本当にごめんね。


    今はあなたに会いたい会って沢山謝りたい、
    そして抱きしめてあげたい。

    色んなこと話したい、
    あなたの優しい笑顔が 見たい声も聞きたいよ。

    匿名

    『愛する娘へ』

    なんでママを置いてっちゃったの? ママは見捨てられたん?
    ママより先に死なないでってお願いしたやん
    遊びに行く約束もいっぱいしてたやん
    Cちゃん居ないと何してても楽しくないよ
    何食べても美味しいと思わないよ
    前の夜の喧嘩、あの日行ってきますも言わず行った事、早く病院に連れて行かなかった事、もっとちゃんと気持ちを聞かなかった事、いろんな事で自分を責め続けています。
    ままのせいじゃないよと書いていたけれど そうは思えません。
    私を置いていくわけがないと過信していました。
    ごめんね ごめんね ごめんね
    寂しくなったらいつでも迎えに来て
    私の娘に産まれて来てくれてありがとう

    Cちゃんのママ

    『自分で死を選んだあなたへ』

    あの日、喧嘩をしたまま
    会えなくなったあなたへ

    今は、つらい思いをしてない?
    楽になっていますか?

    お父さんをなくし、お母さんまでなくし
    自分をアルコールで支えてきて
    苦しかったあなたの気持ち
    わかったつもりでいたけれど
    まったくわかっていなかったと

    あなたが亡くなった今
    きづきました。
    ごめんね。
    こんなに
    苦しい中
    平気なフリをしていたんだね

    でも、三人の子供に
    同じ思いをさせているあなたを
    許せない気持ち

    大好きだと
    伝わっていなかったのかなと
    悲しい気持ち

    会いたくて
    今すぐそこに行きたい気持ち

    毎日苦しいよ

    結婚するとき
    私より先に絶対死なないと
    約束したのに

    アルコール依存と
    うつだと
    はやく気づいて
    医療機関に
    無理矢理にでも
    連れていっていたらと
    後悔ばかりです

    私が死んだら
    また会えますか?

    世界で一番
    大好きだったよ

    愛してると
    毎日言っておけばよかったな。

    大好きだったの
    ほんとに
    家族で笑ってる瞬間が
    一番の幸せだったよ

    会いたい
    会いたい
    会いたい

    子供達の未来を
    幸せにする使命が
    わたしには残っているからね
    まだそこにはいけないけど

    笑って
    見守っていてくれますか?
    あなたを守れなかった
    わたしを
    許してください

    匿名

    『大好きなお姉ちゃんへ』

    もう一ヶ月も経ってしまったね…
    6月に会った時には一緒に出掛けて買い物したりご飯を食べに行ったりタコパしたり
    多少痛みはあったけど普通に車を運転していたよね
    私があげたプレゼント喜んでくれたよね

    7月に入ってママから姉ちゃんの体調が良くないってラインが来た
    その後電話くれたよね
    痛かったのに電話くれたよね
    電話越しの姉ちゃんの声が弱々しく痛そうで辛そうで苦しそうだったの
    今でもハッキリと覚えているよ…
    それから数日後婆ちゃんからの電話…姉ちゃんもう長くないって
    だから顔に見に来てくれないかって頭真っ白になったよ

    それからすぐ会いに行ったよね
    だいぶ辛そうで痛そうで一人じゃもう立てなくなっていたよね
    次の日には入院しちゃってそれからは痛みでほとんど話も出来なかったよね
    数日後後ろ髪惹かれる思いで家に帰ったけど姉ちゃんの事が気が気じゃなかったよ
    ずっと一緒にいてあげたかった

    それから2週間もしない内にママからの電話…
    姉ちゃんの息が浅くなって危ないからこれから病院行って来る…
    何それっ 私すぐに行ける距離じゃ無いんだよ
    姉ちゃんの最後看取れなかった
    ママからの電話30分後くらいに息を引き取りましたってライン見て
    何がなんだか頭パニックだよね
    それからすぐに準備して家を出たけど
    姉ちゃんに会うまでは不思議とあまり涙が出なかった
    だって信じられないんだもん

    でもさでもさ亡くなった姉ちゃん見て本当に死んでしまったんだなぁって
    次から次へと涙が溢れて
    間に合わなくてごめんね!!
    私来たよって姉ちゃんに話しかけたよね。
    ちゃんと聞こえたかなっ?


    私、本当に姉ちゃん大好きで姉ちゃんっ子だったんだよ
    いっつも私や子供達を心配してくれて
    気に掛けてくれて相談にも乗ってくれて
    姉ちゃんには沢山頼ってしまったよね
    感謝してもしきれないよ

    まだ実家に行けば姉ちゃんが居るような気がして信じきれてないし受け入れてない。
    本当に何もかも完璧な姉ちゃんだったよ
    自慢の姉ちゃんだったよ
    大好きな姉ちゃんだったよ
    姉ちゃんとの思い出が次から次へと蘇ってくるよ

    一緒に働いた事、一緒にスカイツリーへ行った事
    二人きりでご飯を食べに行った事、一緒にディズニー行った事
    本当に数え切れない思い出があるねっ。
    もう会えないと思うと胸が張り裂けそうです
    悲しい寂しい辛いけど姉ちゃんの分まで長生きするよ。

    今まで本当に痛くて苦しい思い沢山したからこれからはゆっくり休んでね
    私と弟はいつまでも姉ちゃんの妹と弟だからねっ!!
    大好きだよ~姉ちゃん♡
    兄ちゃんの事は皆で支えるから安心してね!
    いつかまた逢う日まで…

    時が来たら会いに行くからねっ


    姉ちゃんのたった一人の妹 純より

    『大好きなおばあちゃん』

    私の両親は共働きで忙しいから、いつもおじいちゃんと
    おばあちゃんが面倒をみてくれていましたね。

    本当にありがとう。

    でも私が4歳の時おじいちゃんが癌で亡くなって、
    おばあちゃんは本当につらかったはずなのに、
    私たちに心配をかけないように 
    いつも通り明るく振舞っていたことを、私は知っています。

    だって私は、小さい頃からおばあちゃんと一緒の布団で寝ているから
    おばあちゃんが、毎晩亡くなったおじいちゃんのことを思って
    声を押し殺して泣いていたことを知っていたけど
    気づかないフリをしていました。

    お母さんが構ってくれないことを八つ当たりして、
    困らせてごめんなさい。
    そんな私を受け止め、おばあちゃんはいつも私を褒めてくれました。
    ソフトボールの試合で勝った時、ピアノの発表会で演奏した時、
    テストで良い成績を取った時。

    私はおばあちゃんに褒められることが嬉しくて毎日頑張っていました。

    中学生になって だんだんおばあちゃんと一緒に買い物に出かけたり、
    畑の手伝いをしたり、散歩をしたりする習慣は、
    いつの間にかなくなっていました。

    いつも一緒に寝ていたのに「もう1人で寝られる」と言い張った時は
    おそらく成長したことと同時に
    寂しさがあったのだろうと今は思います。

    ウエディングプランナーになりたいという夢を
    両親は反対しましたが、おばあちゃんだけは背中を押してくれました。
    とても嬉しかった。

    受験というストレスを抱えている中学3年生の冬、
    初めておばあちゃんが鬱病であることを母から知らされました。
    私には全く心当たりがないことで本当に驚きました。
    鬱病について無知だった私はいつも通り過ごしました。
    しかし反抗期も重なり、
    何度もおばあちゃんにつらく当たってしまったことを
    本当に悔やんでいます。

    「おばあちゃんなんか大嫌い」「死んじゃえ」
    心から思っていない言葉だとしても、
    発言したことは本当に悔やまれてなりません。

    ごめんなさい。

    この言葉を発した1週間後、
    夕方6時になっても帰ってこないおばあちゃんを心配して探しました。
    おばあちゃんの部屋に行き、日記を見ると
    「今日で終わりにする」という文字を見た瞬間に
    自殺を試みているのだと確信して怖くなりました。

    倉庫から自転車を出しておばあちゃんを探し回りました。
    暗くなったので家に帰ったけど、おばあちゃんの行方は
    まだわからなかったので不安でいっぱいでした。

    お母さんの悲鳴を聞き、おばあちゃんを見つけたのだと思いました。
    おばあちゃんを見つけた場所は倉庫でした。
    その倉庫は私が自転車を取りに行った倉庫です。
    私はなぜ早く気づかなかったのか、早く見つけてあげていたら
    助かっていたのかもしれないと思いました。

    だってお母さんがおばあちゃんを見つけた時、まだ体が温かかったから。
    救急車と警察が来てくれたのですが、
    その時のサイレンと赤い光が
    今も忘れられず怖いです。

    私は高校生になり、おばあちゃんに誓った
    ウエディングプランナーの夢は諦めました。

    私には新しい夢があります。
    それは大学で心理学と福祉について学ぶことです。

    おばあちゃんへ言った言葉の罪悪感から、
    私はおばあちゃんを殺したも同然だと思っています。
    私は殺人犯です。
    だからどうせなら私も死にたかったし、何度も死のうと思いました。
    でもそんな時に限って、おばあちゃんが夢に会いに来てくれます。

    死んじゃダメ、強く生きて、

    そんなふうに言ってくれているのだと思います。

    でも進路について調べるうちに、私と同じように自死を選んで
    亡くなった方に残された家族の方の中で、カウンセラーや心理学について
    学ぶ人がいることを知りました。

    でもその遺族の方たちも自殺の道を選ぶ人が多いことを学び、
    いつか私も自殺するのではないかと、毎日が不安です。
    しかし、この経験を生かして私と同じ境遇の人間を新たに
    生み出さないためにも、私は亡くなった方のことを忘れずに
    共に前へ歩んでいきたいと思っています。


    おばあちゃんありがとう。
    そして本当にごめんなさい。


    匿名

    『あんちゃんへ』

    2019.3.31 夜の7時10分頃に
    まこから電話が来た
    めっちゃパニックになってたよ
    倒れて、息してなくて、冷たくて、なにか零してた
    って
    エイプリルフールは、まだ1日早いよ
    嘘はやめてよね
    って言ったけど警察のサイレンが聞こえて
    電話切ったね

    ほら、早く起きなよ
    エイプリルフールの嘘なんでしょ?
    嘘でしょ?嘘って言いなよね
    いつもみたいに、嘘だよって言いなよね
    まこが隣にいるからさ、抱きしめてあげなよ
    嘘ついてごめんねって言いながら


    死んだんだね、本当に
    酷いことされて、死ねと思った
    けど、実際に死ねと思わなかったよ
    言葉が変だけどさ
    喧嘩の売り言葉に買い言葉のひどいばんだよ
    実際に死ななくていいんだよ
    ほら、早く起きなよ

    なんで足冷たいの?
    頭濡れて、鼻血出て、おしりから何か出して
    バーバとチャアちゃんにパンツは貸してもらわずに
    起きて自分で履きなよ
    寝てるんでしょ?ねぇ、そう言ってよ
    あんちゃん、ねぇ、あんちゃん
    起きなよ、早く
    待ってるから
    早く起きなよ
    ねぇ、ねぇ、起きてよ

    『ごめんな』

    もう2年 まだ2年
    毎日 母は、生きています。

    29歳のあんたを失い 普通に生きています。
    時には、笑い 時には、しっかりと 生きています。

    そうしないと 心配する家族がいます。
    毎日 頭の中は、あんたでいっぱいなのに することは、たくさんあります。

    暇を作っては、いけないんです。
    あんたのもとに逝かないといけないと思うからです。


    助けてあげれなかった そればかりです。


    泣いては いけないんです。
    みんなが、心配するから 気持ちを押し込んで 押し込んでの忙しい毎日です。


    お母さんが、助けてあげれなかった


    ごめんな



    美奈

    『お兄ちゃん』

    お兄ちゃん

    ほんとに死んだの?

    なんで?

    死ぬほど辛かったの?


    一緒に住んでなかったから実感わかない。
    正直、かわいそうなのはお兄ちゃんよりもお母さんだよ。
    お母さん自分を責めてるよ。
    なんてひどいことしたの。


    お兄ちゃん好きだった。


    うちが就職してたまにしか会わなくなったけど、漫画貸してくれたり、
    スイーツを奢ってくれたり。
    そんなときもあったのに…

    お正月には顔見せても声掛けてもくれなかった。
    最近落ち込んでるとは聞いてたけど、
    まさか死ぬなんて。

    いつ以来か喋ってないのに、
    死んだなんて信じられないよ。

    ゲーム借りたまんまだよ。

    自分はいろいろと整理して死んだつもりかもしれないけど、
    全然やり残してるから。


    ばかだよ。
    周りにこんな辛い思いさせるなんて。
    かわいがってくれた姪の成長見ないで
    自分から死ぬなんて。


    本当にばか。
    尊敬してたのにがっかりさせないでよ。



    AKR

    『大事な愛する弟、Kへ』

    K(弟)、Kが死んでしまって1年5ヶ月が経ちました。


    もう長いことだいぶ会ってませんね。
    姿を見てなく、声も聞いてない
    ずっと一緒に暮らしてきたから
    こんなに長いこと弟と離れたことは今までなかったから、変な感じです。


    永遠にいなくなったことが今でもやっぱり信じられません。


    「家を出て、どこか地方に行ったのかな
    それともどこか遠い遠い外国に永住でもしたのかな だから帰ってこないのかな」
    とか思ってしまいます。


    Kが「ただいまー 」と帰ってくることを
    姉ちゃんは、想像してしまいます。玄関にKが立っていることを。
    そしたら姉ちゃんは、Kを思いきり強く強く抱きしめます。


    そして、「ごめんね」と謝る。
    助けてやれなかったから
    何回も謝って、涙をボロボロたくさん流します。
    いっぱい泣くと思う。


    「いつ帰ってくるかなあ 」姉ちゃんは、待ってしまいます。
    帰ってくることは絶対にないのに。



    K。姉ちゃんね、
    父ちゃんと母ちゃんが死んだらね、私も後を追うから。
    家族が誰一人もいなくなった後は生きていけないから。


    今、姉ちゃんが生きてるのはね
    父ちゃんと母ちゃんが生きてくれてるからだよ。
    だから二人がいなくなったら、姉ちゃんも死にます。


    その時は、どうか迎えに来て下さい。待ってるよ。



    ダメなお姉ちゃんより (自死遺族)

    『叔父さんへ…』

    叔父さんが居なくなってもうすぐ一年。今年は初盆ですね。
    月日の経つのは、本当に早いものです。

    私が困った時や苦しい時には、
    どこからともなくそっと救いの手を差し伸べてくれて、
    問題が解決するとサラリと去っていく…そんな存在でしたね。

    でも、一度だけ叔父さんの救いの手をつかみ損ねたことがありました。
    その時は、叔父さんの好意を素直に受け取れる状況ではなかったからです。

    そのことを謝ろうと思っていたけれど、
    そのタイミングを逃したまま叔父さんは旅立ってしまいました。
    今頃になってしまったけれど、謝らせてください。本当にごめんなさい。


    でも、実は、叔父さんはそんなこと気にもせず、
    相変わらず見守ってくれているのではないかと思っているのです。

    叔父さんのお通夜に行こうと会社からの帰宅を急いだ帰り道の公園で、
    ひときわ大きく鳴く1匹のヒグラシの声を聴きました。
    あれは、叔父さんでしょう?

    都会の公園ではなかなか耳にしないヒグラシの鳴き声。
    私がヒグラシが好きだから、わざわざ姿を借りて
    最後の挨拶に来てくれたんでしょう。

    最近では、玄関にいたテントウムシ。
    無視していたら、今度はベランダにもあらわれたテントウムシ。
    不思議に思っていたら次の日は、ベランダに見たこともない大きなトンボ!

    その直後に父が救急車で運ばれました。
    叔父さん、何かをしらせようとして出てきてくれたのだろうけど、
    私の苦手な昆虫ばかり…。
    できれば、他の方法はないですか?


    とはいうものの、実際は、つらいことがあっても、
    叔父さんが今でも見守っていてくれるんだと思ったら、少し安心なんです。
    なんとかなるんだろうなどんなこともって思えます。

    我儘言うのはやめます。
    昆虫でもいいですから、また姿を見せてください。


    待っています。



    心配をかけてばかりの姪より

    「かけがえのない おっとうへ」

    今日は、一日暑い日でした
    おっとう、そちらはいかがですか?

    子供達も、なんとかふんばって頑張っています。
    あの日から今年で、丸三年目です。

    私も、仕事をパートにしてなんとか頑張って来たんだけど、
    最近仕事が辛くなり😧7月一杯で仕事をやめます。
    少し休んで、自分の気持ちに素直になろうと思っています。

    本当に、今までそばにいた人が、突然いなくなる。
    本当に辛い😢🌊です。

    なくなったばかりの時は、たぶん気持ちも、はりつめていたんだと思う。
    なんとか、この家を守っていかないと!

    たぶん、おっとうもおんなじ気持ちで頑張って来たんだよね

    その時、私は何にも考えてなかったおっとうごめん🙇💦💦
    でも、やっぱり最後くらい
    おっとうの声聞きたかった。

    突然いなくなるのは、やっぱり、辛い
    なんで、母親と同じ年に!

    ごめんね😢💨💨
    今私も辛くて、色々口説いてしまい、
    これからも、どうか、残された家族を守って下さいね

     

     

             ゆー

    お父さんへ

    お父さんの病気初めて聞いたのは私が入院している時でした。
    私はまだ受け入れられません。
    絶対何処かに居ると!

    お父さんには苦労ばかりかけたね!
    立派な大人なのに!
    お父さん心配かけて苦労ばかりかけてごめんね😢💨💨

    ありがとう
    私を育ててくれて本当ありがとう

    小さい時お母さん亡くし男でひとつで育ててくれて感謝しています
    お父さんが悪くなって側に行く事があんまりなくごめんね。

    寂しかったね
    辛かったね
    でも頑張ったよ。

    私はお父さんの子に生まれて良かったよ!
    私は生きて頑張ります!
    見守っていてね!

    Kei

    お父さんへ

    師走の半ば、寒波が襲来していたあの日。
    警察からの一報で、父の死を知った。

    アルコール依存症による、失禁を繰り返し、
    何度も着替える途中で、重い貧血から力尽き、風呂場の前で、
    下半身裸で、座った状態で発見された。

    日が落ちた頃、実家に行くと、
    灯油がないストーブは着いておらず、
    ダウンコートを着ていても、凍える寒さだった。

    亡くなるその日の日中、買い出しに行き、
    灯油も補充していたのに、帰宅して貧血で寝ていたのだと思う。

    日曜に低体温症で亡くなり、水曜に訃報を受けた。

    亡くなる数日前、無言の留守電があった。

    一番しんどい時に、どうして電話してくれなかったのか。
    しんどいしんどいと思いながら、ついに意識を失っていった父。

    父の寂しさを思い、その気持ちを忘れられない。

    今も、自身が無気力になりながら、
    父が最期に何を思って亡くなったかを思う、
    辛い毎日を過ごしています。

    畑本有紀  遺族の娘